呉座勇一 ござ・ゆういち
歴史学者
1980年東京都生まれ。東京大学文学部卒業、同大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。専攻は日本中世史。現在は国際日本文化研究センター助教。2014年『戦争の日本中世史』(新潮選書)で角川財団学芸賞受賞。48万部を突破した『応仁の乱』(中公新書)ほか『一揆の原理』(ちくま学芸文庫)『陰謀の日本中世史』(角川新書)など著書多数。
社会人のための教養コラム
歴史学者 呉座勇一に聞く、
現代に生かせる歴史の教訓と歴史学的思考法の重要性
南北朝期から室町期がご専門で、ベストセラー『応仁の乱』の著者としても知られる呉座勇一先生。日本の中世は現代に通じるものがあると語る呉座先生に、現代に生かせる歴史の教訓や歴史学的思考法の重要性について伺いました。
歴史の失敗に学べ 秀吉と信盛の処世術
処世術に長けた人物といえば、なんといっても豊臣秀吉です。主君の織田信長に終生仕え、百姓から天下人にまで上り詰めるストーリーはまさに「サラリーマン出世街道」。終身雇用が慣行だった高度成長期に秀吉人気が高かったのは、面倒な上司である信長の機嫌をうまく取りながら出世していく姿に、自分を重ねて共感できたからでしょう。一方で、同じく信長に仕え、父信秀の時代からの重臣だったにもかかわらず、信長の怒りを買って追放されたのが、筆頭家老の佐久間信盛です。追放の際、信長は信盛に対し19条にわたる「弾劾状」を突き付けました。石山本願寺攻めについての報告や相談がないこと、知行を独り占めして軍の強化に充てなかったことなどがクビの理由です。「報・連・相」がなされなかったし、「自己投資」もしていないというわけです。
信長は現代でいえばブラック企業の社長のような側面もありますが、言っていることは現代にも通じるビジネスの基本です。マメに報告をあげ、信長に評価されていた秀吉や明智光秀のように、信盛ももっと主君と密にコミュニケーションをとるべきでした。
歴史は、成功事例よりこうした失敗事例から学べることの方が多いのです。
歴史学的な思考法で長期的視野に立てる
応仁の乱が起きた中世後期は、多極的で混沌とした社会で、どこか現代と通じるところがあります。こうした先行き不透明な時代は、目に見える事象だけを追っていると本質を見失いがちです。そうならないための長期的視野は、何百年単位で考える歴史学的なものの考え方で培われます。では歴史学的な思考法とはどういったものか。
まず、情報は必ず出どころを確認することです。一次史料(※)に当たるという歴史学の基本は、そのままビジネスにも当てはまります。フェイクニュースやデマに惑わされないためにも、信頼のおける人や組織からの情報か、誰がいつどのような立場で発した情報なのかを、見極めることが非常に大切です。
また、何か問題が起きたとき、なぜそうなったのか、根本的な原因を突き止めるクセをつけましょう。例えば社内体制が硬直化したり、既定路線が行き詰まったりした際、小手先の改善に終始していては、抜本的な解決につながりません。全面的な見直しが必要かもしれないのです。原因をとことん追及する姿勢が大切です。
そして何事においても、唯一絶対の正解があると思わないことです。複雑な現代社会においては、簡単に結論が出ないことの方が多いのです。性急に答えを欲しがり、都合の良い結論に飛び付いたり、異なる意見をシャットアウトするようなことがあってはなりません。
歴史は過去の出来事のため、確定済みだと考えている人も多いのですが、歴史学は常に過去の常識が更新されるクリエイティブな学問です。ビジネスでも昔正解だった手法が今でも正しいとは限りません。過去の成功体験にしがみつかず、常に学び直し、アップデートする姿勢が何より大切です。
※その事象とほぼ同時期に書かれた日記、書簡、公文書などのこと。