西目屋工場内のブナコカフェでは、同社の製品が照明や小物として使われている
地域発! 世界を支えるものづくり
世界に誇る木工品ブランド「ブナコ」の誕生秘話に迫る
「ブナコ(BUNACO)」は、青森県が世界に誇る木工品ブランドだ。弘前市に本社を置くブナコ株式会社が展開しており、その最大の製造拠点は世界遺産と水源の里・西目屋村にある。同村の移転した小学校を活用した同社西目屋工場で、ブナコ誕生の話を聞いた。
Company Profile
ブナコ株式会社
代表取締役:倉田昌直
本社:青森県弘前市豊原1-5-4
設立:1963年
従業員数:28名
事業内容:天然木材による雑貨、インテリアの企画製造販売
木材だけど使い道がない!?青森の地域資源を有効活用
ブナを使った木工品「ブナコ」の特色の一つは、日本一のブナ蓄積量を誇る青森県産を中心に、国産のブナの木を原材料としていることだ。元来ブナは多量の水分を含むため建材には向かず、ほとんどが木炭などに加工されていた。それをブナコ株式会社の技術が、地域資源として新たな価値を見出した。
「技術はブナの有効活用のために、当時の青森県工業試験場で1956年に考案されたもの。63年に父が創業したブナコ漆器製造へ技術移管されました」と語るのは、代表取締役の倉田昌直さん。
「会社は社員がいて成り立つ」と倉田社長。それだけに、コミュニケーションは大切にしているという
ブナコのもとになるのはブナの原木から"大根の桂むき"の要領で削られた、厚さ1㎜ほどの単板。これを細いテープ状にカットし、ぐるぐるとコイル状に巻き付ける。
巻いた板に湯飲み茶碗を押し当てながら、職人が手作業でさまざまな形に成型。独特な曲線美を帯びるのはこのときだ。最後に接着・乾燥・塗装などの工程を経てブナコは完成する。テーブルウエアのほか、ペンスタンド、小物入れ、スツール、さらにスピーカーなど製品は多岐にわたる。
ブナコの西目屋工場にはショップを併設。ここでしか買えない商品も置かれている
特注依頼が会社の起死回生のきっかけに
倉田さんが2代目社長に就任したのは80年。入社後1カ月で父親が他界。「突然で何の引き継ぎもできないまま後継者になった」と、その頃を振り返る。
「当時はほぼ食器のみの製造・卸売。81年に『茜の器』というヒット商品を生み出すなど、就任してしばらく業績は堅調でしたが、98年頃からギフト需要が低下し業績が急落。新商品を作っても、まったく売れない状態が続きました」
そんなとき、知人からランプシェードの製作を依頼される。
新規事業チャレンジのきっかけとなったランプシェードと倉田社長
「前年に同様の案件が舞い込んだときは、技術的には可能でしたが採算が合わず頓挫してしまった。だが、それは自身が限界を決めてしまい、チャンスに気付かなかっただけではないか。そう思い、今度こそ新規事業としてチャレンジしたいと考えたのです」
事業化のためには、社員に向けた"説得"が必要だった。
「『食器から、なぜ突然ランプシェードなのか』と面を食らったのか、社員の反応はいまいち。でも『うちの社員には確固たる技術があるから、必ずできる!』と確信していました。そこで自ら率先して工場に入り、製造に関する打ち合わせに参加。自分で巻き付け・成型などをやってみると『社長、そんなやり方じゃだめだよ!』と助けてくれたんですよ(笑)」
完成したランプシェードはその独自性を認められ、新規事業化のための資金調達にも成功した。
工場は小学校の移転による空き校舎を活用しており、近所の子どもたちが見学に訪れることも多いという
保有技術を応用・転化する それこそが経営者の腕
2000年代初頭にランプシェードの事業化を開始。幸運にもその頃、東京を中心にレストランをはじめとした新興店が台頭し始め、モダンな雰囲気を醸す同社のランプシェードは、それらの空間にマッチした。やがて国内高級ホテルなどからも注文が殺到。見本市や展示会、コンペに出品すると、高いデザイン性から海外のバイヤーの間でも話題を呼んだ。新製品も次々と展開し、現在のラインナップは、カラーバリエーションを含め400種類以上に及ぶ。
「日本の伝統技術が衰えている要因は"応用を利かせていない"ことにあると思います。代々継承されてきた製品の形を守り続けることも大切ですが、それだけでは続けていくことが難しくなる。新たな発想の下、保有する技術を"別の価値"へと転化させ『その技術ならばこんなことにも使ってみたい』という人を呼び込んでいく。それこそが今の会社経営に求められるものだと信じています」
ブナコは、バウムクーヘンのようになった巻き板の平面を押し出すことで、立体に作られていく。その後、ヘラで形を整え(左)、糊付け乾燥、木地の研磨や穴埋め作業(左)(中)、塗装(右)、パーツの組み立て作業、製品検査を経て完成する