群馬県みなかみ町のワーケーション合宿施設「WIND+HORN(ウィンドアンドホルン)」のウッドデッキから谷川岳を望む。このような環境で仕事ができるのが、ワーケーションの利点だ
「日本型ワーケーション」の可能性と課題
ワーケーションのすすめ(前編)
アメリカで生まれた概念とされる「ワーケーション」。働く人がオフィスを離れてリゾート地などで、オンライン会議への参加や報告書提出といった業務をこなしつつ休暇を取る、といったものだ。日本においても、働き方改革が進む過程で認識されつつあったが、新型コロナウイルス感染症拡大により、にわかに注目度が高まっている。ここでは日本におけるワーケーションの動きを紹介する。
日本でワーケーションは根付くのか。また、問題点は何か。日本におけるワーケーションの現状について、この問題に詳しい山梨大学の田中敦教授に話を伺った。
田中 敦 たなか・あつし
山梨大学 大学院 総合研究部 生命環境学域 教授
JTBに入社後、教育旅行、MICEや米国本社・欧州支配人室勤務などを経験。2000年に本人出資型社内ベンチャーとしてJTBベネフィットを起業し、30代で取締役に就任。その後、事業創造本部、JTBモチベーションズなどを経て、16年山梨大学に観光政策科学特別コースが新設されたのを機に現職。同大学 大学院総合研究部 生命環境学域 社会科学系長、生命環境学部 地域社会システム学科 学科長を兼任。 その他、日本国際観光学会ワーケーション研究部会部会長などを務める。
ワーケーションによって休暇の取得を促進する
ワーケーションは、2020年7月に当時の菅官房長官が、観光戦略実行推進会議において言及したことで、一気に社会的な関心が高まりました。
ワーケーションは、ワーク(仕事)とバケーション(休暇)を組み合わせた造語です。まだ明確な定義は定まっておらず、識者によってさまざまな定義や解釈がなされていますが、労務管理的な観点から見れば、「社員が休暇中などの一部の時間帯に、会社に申請をして承認を得た上で、通常の勤務地や、自宅とは異なる場所で、テレワークなどを活用して仕事をすること」といえるでしょう。
ワーケーションが注目を集めている背景の一つには、国が労働者の休暇取得を推進していることが挙げられます。現状では、社員が平日に休みを取ってリゾート地に行きたくても、「水曜日の午後に大事な会議が入っているので、休暇の取得を諦めざるを得ない」といったことが起きがちです。けれども、ワーケーションの制度を導入している企業であれば、社員は「リゾートを満喫しながら、水曜日の午後だけオンラインで会議に参加をして、会議が終わったら、また休暇に戻る」ということが可能になります。
私は現時点でも、休暇中に業務が滞ってしまうことを嫌い、会社に黙って、あるいは会社の黙認の下に、旅先にノートPCを持参して仕事をしている"隠れワーケーター"はかなり多いのではないかと推測しています。そうであるならば、会社として正式に制度を導入し、隠れワーケーションをしている時間を労働時間として認めてあげた方が、社員も安心して休暇を取り、また休暇中に働くことができるようになります。
またワーケーションを活用する人が増えることは、地域の観光事業者にとっても、平日やオフ期の売上の向上が期待できるというメリットがあります。
日本型ワーケーションが生まれつつある
ワーケーションは、欧米では一般的な働き方だと思われがちですが、実はさほど普及していません。欧米で増えているのは、「デジタルノマド」と呼ばれるフリーランスの人たちです。彼らはデジタル機器を駆使することで、世界を自由に移動しながら、好きな場所で働くという生き方を実践しています。既に世界には、インドネシア・バリ島のウブドやポルトガルのリスボンなど、世界中からデジタルノマドが集まる聖地のような場所ができています。ですから、ワーケーションについては、日本だけが独自の発展の仕方をしつつあるといえます。
私が整理したところでは、現在日本では表1のように、大きく四つのワーケーションのスタイルが展開されようとしています。
このうち「オフサイトミーティング型」とは、リゾート地などの職場以外の場所で、アイデア出しなどの会議や、チームビルディング(※1)のための研修を行うというものです。オープンな雰囲気で会議や研修を実施することで、チームの絆が深まったり、議論が活性化したりすることを期待したものです。
ただし「オフサイトミーティング型」は、いってみれば団体出張のようなもので、働く場所が変わっただけで休暇の要素はありません。ですから、厳密にはワーケーションとはいえないはずですが、日本ではこれもワーケーションの一形態とされており、多くの自治体が「オフサイトミーティング型」での活用を前提としたワーケーション施設の充実やプロモーションに力を入れています。
日本型ワーケーションのもう一つの特徴は、地域の自治体において、ワーケーションを関係人口の増加に結び付けたいという思いが強いことです。「ワーケーションを活用して自分たちの地域に来てくれた人が、地元の人と関わるうちに、地域に対する愛着が深まり、足繁く通うようになったり、移住を考えたりするようになる」ということを多くの自治体が期待しています。欧米のデジタルノマドの場合、旅先でデジタルノマド同士が交流することはありますが、地域の人と交流することはほぼなく、地域も彼らに移住してもらうことを考えてはいません。ワーケーションを通じて、地域と地域外の人との交流促進を図るという考え方は、非常に日本的といえます。
※1 各個人のスキルや能力、経験などを最大限に引き出し、目標達成できるチームをつくりあげるための取り組み
マジョリティのニーズをいかに把握できるかがカギ
今後、ワーケーションが日本で定着していくためには、当然ですが、どれだけ多くの企業がこの制度を新たに導入し、社員に活用されるかがカギとなります。
最近の若い人は、多様で柔軟な働き方ができる職場を求めるようになっています。またイノベーティブな発想ができる人や、社外に多くのネットワークを持っている人ほど、ワーケーション的な働き方を好む傾向があります。若くて優秀な人材を採用するには、企業はワーケーション制度の充実に取り組まざるを得ないでしょう。
一方、単にテレワークができる施設を整えれば、その地域に人が来てくれるわけではありません。近年都市部では、おしゃれで快適なコワーキングスペースがたくさんできており、ワーケーターが施設やサービスを見るときの目はかなり肥えてきています。豊かな自然や人々との交流を体験できるだけでなく、ストレスなく仕事に取り組める環境が用意されていないと、彼らがその地域を選んでくれることはないでしょう。
また現時点でワーケーションに積極的なのは、イノベーター理論(※2)でいうところのイノベーターやアーリーアダプターと呼ばれる人たちです。しかし今後、ワーケーションが社会の中に広がっていけば、アーリーマジョリティや、レイトマジョリティの人たちも、ワーケーション市場に参入してきます。アーリーアダプターとマジョリティでは、ワーケーションの施設やサービスに求めるニーズは大きく異なるはずです。彼らのニーズをいかに把握し、応えることができるかも、地域や事業者の課題といえます。
21年に予定通り東京2020オリンピック・パラリンピックが開催された場合、大会期間中の都内の混雑を緩和する側面から、ワーケーション制度を導入する企業や利用者が一気に増えることも考えられます。ワーケーションによって、今後日本人の働き方は大きく変わることになるかもしれません。
※2 新商品やサービスの市場浸透に関する理論。消費者をイノベーター(革新者)、アーリーアダプター(初期採用者)、アーリーマジョリティ(前期追随者)、レイトマジョリティ(後期追随者)、ラガード(遅滞者)と5つに分類する考え方