小川糸 おがわ・いと
小説家
2008年に『食堂かたつむり』(ポプラ社)でデビュー。同書は英語、韓国語を始めさまざまな言語に翻訳され、イタリアのバンカレッラ賞(2011年)、フランスのウジェニー・ブラジエ賞(2013年)を受賞した。同作品をはじめ、『つるかめ助産院』(集英社)、『ツバキ文具店』(幻冬舎)など映像化された作品多数。最新作『ライオンのおやつ』(ポプラ社)もNHKでテレビドラマ化された。
カルチャーコラム
小川糸さん
思いが伝わる文章の書き方
コロナ禍で知人や友人に直接会う機会が減るなか、今、手紙が見直されています。鎌倉の代書屋さんを舞台とした『ツバキ文具店』をはじめ、手紙が重要な役割を果たす作品を数多く書かれている小川糸さんに、相手に思いが伝わる文章の書き方について伺いました。
手紙は相手への時間のプレゼント
昔から、手紙は書くのももらうのも大好きです。手紙の代書を請け負う雨宮鳩子が主人公の小説『ツバキ文具店』を刊行するにあたっては、書店員の方に宛てて直筆の手紙を書きました。感謝の思いはメールではなく、鳩子同様やはり手紙で伝えたいなと。
いち早く届くという点ではもちろんメールにはかないませんが、手紙は、その人のまとっている空気感も一緒に運んでくれます。それに、便箋、筆記用具、切手などを相手に合わせて選ぶのも楽しいもの。慣れてくると自分の一つの作品のような奥深さがあります。
上手な手紙って、その人らしさがにじみ出る、まさにその人の分身なんですよ。以前フランスで知り合った友人から届いた手紙の中にバラの花びらが1枚入っていて、彼女らしいなあと、ひととき思いを馳せました。こんなちょっとしたギフト感が込められるのも手紙のよいところ。メールではこうはいきませんよね。
手紙は、相手に向けて書きますが、書くのは自分のことです。ですから、手紙を書くって、鏡を持って自分の心を映す、そんな作業だという気がします。正直に自分と向き合わないと書けない。心に余裕がないと書けない。だからこそ、手紙が好きなのかもしれません。
小川さんご愛用の便せん(ライフ)、万年筆(ペリカン)とインク(J.HERBIN)。にじみが少なく書きやすいのが気に入っているという(撮影:小川さん)
ちょっとしたお礼なども、メールではなく、ハガキや手紙に認(したた)めて送ると、より一層気持ちが伝わるように思います。書いているときは、相手のことだけを考えて集中しますよね。だから、手紙はある意味時間をプレゼントしているともいえるんです。
時間をかけて書いた手紙がポストに入れられ、郵便屋さんに回収され、先方に配達される。リレーのバトンのように人から人へと渡っていく。それだけで価値があると感じます。有機的につながっているとも思えるし、物理的に手元に残るというのも特別感がありますよね。
メールにも自分らしさを付け加えたい
とはいえ、ビジネスなどでは圧倒的にメールを使うことが多いと思います。メールは用件を伝えることが第一義で、便箋や切手など、文章以外でプラスαできる要素がないため、どうしても定型的になったり、そっけなくなったりしがち。なので、そこに自分らしさを加味したいものです。相手との距離感にもよりますが、語尾を「~ですね」としたり、世間話を少し入れたりするだけで、ずいぶんと印象がかわります。メールでは、こうしたクッションになるような表現や自分ならではの話題を、より意識して取り入れるとよいのではないでしょうか。
仕事の依頼はメールでいただくことがほとんどですが、書いた人らしさがにじみ出るような依頼書だと「こういう人からの依頼は受けたいなあ」と思います。一方で定型文の宛名を変えただけのようなメールだと、お引き受けする気持ちが萎(な)えてしまうことも。同じような内容でもちょっとした表現で受ける印象は全く異なるので、言葉の選び方は大事ですね。
もちろん、送信ボタン一つで送れてしまうメールだからこそ、宛名の間違いや誤字・脱字、変換ミスなどがないか、読み返すのは基本中の基本です。手紙だとギリギリポストからの回収も不可能ではありませんが、メールは送ったが最後、取り返しがつきませんから。
手紙、メールを問わず心がけているのは、書くときに感情的にならないことです。特に繊細な事柄に触れなければならないときは、一晩寝かせたり、この表現で伝わるか、この言葉遣いで合っているかなと十分吟味してから出すようにしています。
また、「夜書く手紙には魔物が潜む」と言われるように、日が落ちてからの文章はひとりよがりになりがち。日中の明るくおおらかな気持ちのときに書くというのも、気を付けている点ですね。
相手に気持ちを伝える文章の書き方の要(かなめ)は、テクニックではなく、一生懸命に相手のことを考えて書くという真摯な姿勢だと思います。相手のために選んだ言葉や表現は、必ず伝わります。一方でそこに心がなければ、形だけ整えても相手に響きません。
笑顔で書いているのが伝わる。手紙にしろメールにしろ、そんな文章を送りたいものですね。