永井 玲衣 ながい・れい
哲学研究者
1991年東京都生まれ。哲学研究と並行し、学校・企業・寺社・美術館などさまざまな場所で哲学対話を行い、ファシリテーターを務める。さまざまなメディアでの発言、エッセイの寄稿なども積極的に行っており、著書に『水中の哲学者たち』(晶文社)がある。
新しい学びのかたち──「学ぶ」をまなぶ
【「学ぶ」をまなぶ】 Interview.2
自分の問いを見つけ、自前の言葉で話す
「哲学対話」がもたらすもの
「哲学対話」を授業や研修に取り入れる学校・企業が増えている。そこでは、いかなる問いが生まれ、どのような気付きと学びを促すのか。さまざまな場で「哲学対話」のファシリテーター(※)を務めてきた哲学研究者の永井玲衣氏に話を伺った。
※ 会議や集団活動などにおいて、物事がうまく進むように中立的立場からかじ取り役を担う人のこと。元であるfacilitateという英単語には「促進する」「事を容易にする」といった意味が含まれる
なぜ子どもに見栄を──? 「私の問い」から始まる対話
──「哲学対話」と聞くと、論客たちが激しく意見を戦わせるようなイメージを抱く人もいるでしょう。永井さんが実践する対話はそういったものではないそうですが、どのような問題を扱われているのでしょうか。 そうですね。例えば、企業で哲学対話を行う際、事前にどんなテーマで話したいかを参加者に尋ねると、「良いリーダーとは?」「成長し続けることは良いことか?」といった、明らかに「会社のため」のマインド・目的意識を感じさせる問いが出てきます。
それも悪くはないのですが、私が勧めるのは、「本当に問いたいこと」を問うこと。言い換えれば、そのことについて誰も正解や特権的な知識を持ち合わせていない、「私たちのための問い」です。
日々の生活の中で引っかかったり、つまずいたりしていることは、その一つ。「今朝、子どもにある虫のことを聞かれ、本当は知らないのに『知っているよ』と言ってしまった。しかし、なぜ見栄を張ってしまうのか?」といったようなことですね。会社で話すには雑談的過ぎるのでは......と思われるような問いでも大丈夫。一見些末であっても、「その根っこにあるものはなんだろう?」と、参加者が自由に話して探求するうちに、いつの間にか、より根源的なことを考えるようになります。
先ほどの見栄の話で言うと、「私もクライアントから何か質問されると、『知っていますよ』と見栄を張ってしまう。しかし、本当は正直に答えるべきなの?」「見栄を張るとは『良いように見せること』だ。しかし、そもそも人はなぜ自分を良く見せたがるの?」と、素朴な問いの奥に隠れていた深い問題が、砂が払われるようにして私たちの前に現れてきます。
哲学対話はいわば、このような問いを聞き取り、見つけ、深めていく試みです。企業であれば、経営陣も新入社員も一緒になって、非日常的な対話の時間を共有する。こうした経験を、私は「皆で水中に潜る」と言っています。
年齢や職業、バックグラウンドに関係なく、あらゆる人に哲学対話の場は開かれている。「実は、哲学対話をすると、最後の振り返りの際に泣き出す人が少なくありません。『ずっとつらかったけど、問いをさらけ出すことで、見ないふりをしていたことに気づいた』『自分が普段何を考えているか、久々に真剣に考えた』といった声もよく聞かれます」(永井氏)
普段、「私たちのための問い」について気軽に対話できないのは、なかなか「何を話しても大丈夫」と思えるような場がないからです。また、その場に論破しようとする人がいると安心して話せません。私はファシリテーターの役割を「問いを育てること」と考えていますが、安心して話せる対話の場をつくるため、最初の10分で三つの約束事を丹念に説明しています。
一つ目は「よく聞く」。誰かが話している間は最後まで聞き、言葉をかぶせない。私は鳥のぬいぐるみを用意し、それを持っている人だけが話す決まりにしています。
二つ目は「偉い人の言葉を使わない」。借り物の言葉ではなく、あくまで自分の言葉で話すこと。
三つ目は、「人それぞれにしない」。例えば、正義について「定義は人それぞれでしょう」と言ったなら、そこで話が終わってしまいます。
全ての根底にあり、最も大切だと思うのは「何も馬鹿にしない」ことです。「すみません......こんなぼんやりした問いでいいですか?」という人がよくいますが、むしろそういう問いこそが大事。それに対し、「意味が分かりません」「もっと分かりやすく言い換えてください」と責めるのはご法度です。自分の言葉で話したことをゆっくり育てていく。そうした場づくりをすると、こちらが無理に背中を押さなくても活発な対話ができるようになります。
闊達な意思疎通と主体性の獲得
──では実際、企業での哲学対話にはどんな効用があるのでしょう。 一つは、「良いチームづくり」につながること。もう一つは、参加者たちが自分の言葉で考え、自分の足で歩めるようになることです。
馬鹿にされたり論破されたりする心配のない場で、上司や部下に問いを投げかけ、一緒に考えると、普段の仕事の場でも、疑問に思っていることを聞いたり、話したりできるようになります。企業における哲学対話はそのためのレッスンともいえるでしょう。
うまくいった哲学対話では、自然と人と人との距離が縮まります。例えば、普段はムスッとしている上司が実は、子どもに知ったかぶりしたことを悩んでいる姿を見て、「部長って実はそんなことを考えていたんだ」と親近感が芽生え、苦手意識が薄れるというわけです。
そして、自前の言葉を用いることで、「自分は何がしたいのか」「何が欲しいのか」に気付きます。学び直しについても、「勧められているからこの資格を取ろう」ではなく、「こうなりたいからこれを学ぶ」という主体性が出てくる。何かを学ぶ上で、哲学対話への参加はきっと良い準備になるはずです。
「哲学対話で自分は大きく変わった。自分の言葉で考えたり話したりできるようになった」──参加者からそんな感謝のメッセージが届くこともあるという